小原慎司の 「白い恋人」CM出演顛末記 6
投稿日 : 99年2月26日<金>02時01分
テイク2。といっても、田中美佐子のだんなと東八郎の息子の、今いち芸に幅のない漫才コンビの方ではない。ビデオ撮りの2本目、とでも意味する業界用語である。ディレクター氏の迫真の演技を見て、私も考えた。どうすれば、身体だけで「声援」を表現できるのか?私が出した答えは「跳ねる」であった。出演者はあらかじめ、黒のビニールテープで立ち位置が決められている(第3話参照)。しかも私の場合、集団のもっとも後方で、いくら3メートルを越す巨体とは言え、画面に映るのはほんの少しである。ならば、少しでも目立つように体全体に前後左右の動きを加えてみたら、と思いついた。いわゆる「スカイラブハリケーン」というやつである(ウソ)
実は私がCMに出演するのは今回が初めてではない。今まで隠していたのだが、過去にもCM出演の経歴があるのだ。
みなさんもよく御存じの、サントリーのKONISHIKIのCM。実はあの巨体の中に入っているのが私なのである。KONISHIKIはいまでこそ、あんな風になっているが実は身長15センチの小人で(代表作「ミクロの決死圏」)、あんなにデカく見えるのはILM開発による高度なアニマトロニクス技術の成果によるのだ。それを証拠にあのCMをよく見ると、KONISHIKIの背中にファスナーがあることに気づくであろう。実はあのコニシキは二重構造の着ぐるみで、外側は「本小錦」、内側は「肌小錦」とよばれている。あの撮影のときは、通気性のわるい冬仕様肌小錦のおかげでずいぶんと苦労したものだが、そんなアホな話はおいといて、本当に私は過去にCMに出演したことがある。
もちろんアントラーズの秋田としてオートバックスのCMに出たというオチではなく、よりにもよって、まさに「白い恋人」の初年度のCMに出演しているのだ。手元にあのCMのビデオがある方は御確認いただきたいのだが、歓喜にわくサポーター集団が映し出されるシーンの、ちょうど対角線のまじわる中心に、秋田豊似の大男が年がいもなく跳ねている姿に気づかされるであろう。
当時は、たったこれだけだけの露出で、小原家親戚縁者が一堂に会する、盆と正月の親戚会において、ずいぶんと話題になったものだ。ついに小原の血から役者が出おったか、と小原家総帥の小原豚角煮左衛門(おばらぶたのかくにざえもん)がその膝をはたと打った、というのは小原家では有名な話だ。
そう、私はこの「白い恋人」初年度CMから、すでに「跳ねて」いたのである。「跳ねる」べきは今。私は自らの「血」をも賭けて、このCMに挑む覚悟を決めた。
エキストラ各人もディレクター氏のお手本を見て、すっかり緊張もほぐれたようだ。さきほどよりも自然な笑顔がこぼれる。それぞれが、次の舞台で自らが演じるべき役割を悟っていた。
「テイク2−!・・・・3、2、1、笑顔ーっ!」
メガホンを振り回すもの。両手を高く突き上げるもの。ガッツポーズをするもの。そして私のように跳びはねるもの。やはり高校時代に創作ダンスの洗礼を受けたのか、沙織さんは手を振って声援を表現していた。慣れないメガホンを持たされたたすく君は、とりあえずそれを単振動させていた。バチは持っても、それで手元のタイコを叩けない松浦君は、「叩くふり」で応戦した。そして私は、大脳半球内のイメージで自らを大同ほくさんグランドに置き、全身全霊を持って跳ねまくった。訥々とした、ちさとちゃんのセリフが、静かに、そして荘厳ささえも伴って、スタジオ中に響き渡る。
「カット!!」
得も言われぬ充足感。
オレたちは確かにやり遂げた。
誰もがそう信じたその時、赤塚不二雄似のディレクター氏は言い放った。
「いいよお〜〜、じゃ、もう一回やってみよう」
駄目なんかい・・・・まもなくテイク3。
つづく
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